京まちなか映画祭presentsファンタスティック☆押忍上映会 監督トーク②

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その日、会場を一番のカオスに包み込んだのは、中島悠作監督『極東ゲバゲバ風雲録』(2018)でした。映画にこめられた中島監督の思い、そして、出演俳優・白澤康宏さんの感想がつまった、上映後トークをお届けします!(聞き手:京まちなか映画祭・石塚就一)

 

石塚 原発や震災、東北といったキーワードが散りばめられた作品でした。制作のきっかけは何だったのでしょう?

中島 僕が宮城県出身で、16歳のときに東日本大震災を経験したんです。その後、立命館大学映像学部で初めて作った映画が原発関連の内容だったんです。そこから、「自分は震災や原発についての映画を作っていこう」と考えるようになりました。『極東ゲバゲバ風雲録』は卒業制作で、「もう映画は作れないかもな」と思っていたんです。だから、自分の思う震災についての映画を撮ろうとして、できたのがアレです。

石塚 アレ(笑)。でも、世間一般にあふれている震災関連の作品って「絆」などの言葉で感動をあおるものが多いですよね。そんな作品へのアンチテーゼのようにも感じます。

中島 高校生の当時から「絆」とかいわれてもピンとこなかったんです。でも、地元のテレビ局はそんなドキュメンタリーを作っていたり。ハリボテのような空虚さを見ながら、「ほかにも伝えなきゃいけないことはあるだろう」と思っていました。そういう気持ちが本作につながっています。

石塚 わかりやすいテーマに震災が集約されることが疑問だったのでしょうか?

中島 どうしてもお涙頂戴ものになるじゃないですか。震災がテレビ局の食い物にされているような感覚がずっとありました。そこに対する憤りから「こういう作品もあるんだ」という気持ちで、本作を撮りました。

石塚 白澤さんはどのような経緯で本作にご出演されたのですか?

白澤 私は本作に先駆けて、監督の過去作『蝦夷たち』にも出演させていただいたんです。その作品でもテーマの根源に東北があるのだと監督から話を聞きました。『蝦夷たち』は学生運動と機動隊が対立する内容で、自分は街の巡査役でした。だから、中島監督の作風はイメージできていたんです。その流れで、続く作品でもお話をいただきました。

石塚 撮影にあたって、お芝居の指示は細かく伝えられたんですか?

白澤 撮影時点ではすでに完成した『蝦夷たち』を拝見していたんです。なので、与えられたキャラクターの立ち位置は自分なりに理解していました。堕落した日本の象徴であったり、大人の嫌らしさであったりを出せたらいいのかなと。

石塚 電車のシーンで「ボランティアやろ」と連呼するお芝居にはインパクトがありましたね。

中島 ボランティアおじさんにはモデルがいるんです。大学に入る前、部屋探しで京都を訪れたことがありました。京都から宮城に帰る途中で、父親が「ボランティアで行くんですか」ってずっと絡まれてて。それで、ボランティアおじさんと自分が対決したらどうなるんだろうという発想が生まれたんです。

石塚 「対決」という言葉が出てくる時点で、そのおじさんにはいい印象を抱けなかったわけですよね。

中島 もちろん、ボランティアの方々に東北はたくさん助けていただきました。ボランティアがきっかけで東北に移住してくれた方々もいますし。でも、あのボランティアおじさんには「何か違うな」と思ってしまったんです。

石塚 ところで、「ボランティアおじさん」って普通に広まっている言葉なんですか?

中島 いえ、広まってないと思います(笑)。造語です。

石塚 なるほど(笑)。では、白澤さんの思う「中島作品の個性」とは何でしょう?

白澤 『蝦夷たち』はけっこう大所帯で撮影していたんです。京都の竹林で、たいへんな現場でした。それで、本作のお話をいただいたときも、同じ路線を突き詰めるのかなと思っていました。最初のタイトルも『堕落ジャパン』で・・・

中島 覚えてないです(笑)。

白澤 そんなタイトルだったから、より現場もスケールアップすると思っていたんですよ。それで現場に行ったら、監督と自分と瓜生(遼太郎)くんしかいなかった。

場内 (爆笑)

白澤 どういうことなんだって(笑)。でも、監督は「突き詰めた末に、ここに辿り着いたんです」と語っていたのを覚えています。

中島 あんまり覚えてないんですけど(笑)。

石塚 台詞はすべて脚本どおりですか?

白澤 はい、いただいた脚本のとおりにお芝居をしていますね。

石塚 監督と瓜生さんのデモのシーンなんかはアドリブっぽいと思ったのですが。

中島 あれもほとんど脚本どおりです。瓜生がデモのガチ勢で、僕が詳しく知らないまま来ちゃったみたいな。

石塚 冒頭の「大島渚になりたかった」という曲も面白かったです。タイトルも若松孝二作品のパロディですよね。監督にとって昔のアンダーグラウンド・カルチャーは刺激を与えてくれる存在なのですか?

中島 60年代のよくわかんない作品がいっぱいある状況が好きで。僕が黒塗りで踊るシーンも、大駱駝艦を観に行ったことで、「やってみたい」と思ったことがきっかけです。そういう憧れは込められていますね。

石塚 数ある過去作品、作家の中でも「大島渚」が出てきたのはなぜですか?

中島 大学に入ってから『新宿泥棒日記』をフィルムで見て。そのとき、衝撃しかありませんでした。今でも当時の感覚は忘れられず、「自分でもこういう作品を撮りたい」と思うようになりました。

石塚 負けないくらいユニークな作品になっていると思います!

中島 ありがとうございます。

大盛況のうちに終わった「京まちなか映画祭presentsファンタスティック☆押忍上映会」。第二弾はいつになるのか?今からスタッフもワクワクしています。

(構成・文:石塚就一)

 

中島悠作               

1994年生まれ。宮城県出身・在住。立命館大学映像学部卒業。「印度之会」でも精力的に活動中。「私も売っています」とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

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